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自己紹介

はじめまして、かいです! 

 本日は数あるWebサイトの中から、こちらのサイトへお越しいただきどうもありがとうございます。

 私は保育園で働く40代の女です。現在は夫と犬2匹、猫2匹と暮らしています。子どもはまだいません。毎日朝から夕方まで働いて、帰ってから愛犬の散歩に出かけ、休みの日は登録しているドッグランに遊びに行く、犬好きさんなら「あるある」な犬中心生活です。

 そんな私ですが、1年前に我が家で起きたある出来事をきっかけに、在宅ワークを目指すことにしました。会社に所属しないフリーランスとして。なぜそんな働き方をしたいのか、自己紹介も含めてお話しさせていただきます。

基本情報

名前:かい
年齢:40代
生まれと育ち:千葉県
仕事歴:看護の専門学校を卒業後、看護師として勤務。途中でケアマネや保育士の資格を取得し、現在は保育園で勤務。
ペット歴動物好きの両親のもと、動物好きに育ちました。現在は犬と猫と暮らしています。
趣味:結婚前までは音楽が大好きでしたが、結婚後は音楽に興味のない夫に合わせて封印(笑)。今は夫婦で「家族(犬猫)優先」の生活を大切にしています。

夫と、愛犬との出会い

 私は幼少期から体を動かすのが好きでしたが、就職をしてからは変則勤務で仕事中心の生活になり、運動不足になっていました。そんな時に知り合いから誘われてフットサルをすることに。それからは、時間があると個人参加のフットサルに参加するようになりました。そこで縁あってお付き合いを始めたのが今の夫です。

 付き合って少しした頃、「ゴールデンレトリバーと暮らすのが夢だった」と言われ、ペットショップに犬や猫を見に行くことが多くなりました。そんなある日、愛犬との出会いが。夫の一目惚れでした。

 お互い実家暮らしだったので、いつもなら「かわいいね」で終わりでしたが、その日の夫は違いました。突然ゴールデンレトリバーの男の子を指差し「この子と暮らす!」と言い出したのです。まさか、帰り道で住みたいエリアをドライブし、アパート探しをするほどの行動力があるとは思いませんでした。

 犬と暮らしたことのない夫のために、幼少期に犬を飼っていた私は数日という約束で一緒に暮し始めました。しかし蓋を開ければ、毎日のお世話は想像以上に大変なものとなり、そのまま同棲していました。

数ヶ月後、1匹でのお留守番がかわいそうになり、もう1匹(ボーダーコリーの女の子)をお迎えしました。毎日が賑やかで、とても楽しく本当に幸せな日々でした。

結婚と通院

 一緒に暮らして一年半後、私たちは結婚しました。私は34歳でした。

子どもが欲しかった私は、結婚が決まってすぐに不妊治療を希望し婦人科へ通い出しました。年齢のこともありますが、不妊かもしれないと思ったきっかけがあったからです。それは21歳の時に働いていた病院でパワハラに遭い、それまで順調だった月のものがなくなってしまっていたからです。

 当時から何度か病院に行っていて、その度に「そういう人もいるから、妊娠を希望するようになったら病院に行ってね。薬でちゃんと妊娠できるよ」と言われていました。しかし、なかなか授かることはできませんでした。

 2年が経った頃、「この検査やってみようか」と提案された検査で「早発閉経」と言われました。子どもを授かる可能性が限りなく低いそうです。愕然としました。泣いて夫に電話したことを覚えています。

家に帰ってから今後のことを相談しました。夫は長男。私の親も孫はずっと心待ちにしていました。

もし子どもができなかったら?

100%私の体の問題なので、夫は相手さえ違えば自分の子を授かることができるのです。離婚、養子、夫婦(と犬猫)だけの生活、いろんな話をしました。この時夫が「子どもありきで結婚してないから。自分の子じゃなければ無理に欲しいとは思わないし。まだ絶対無理なわけでもないんでしょ?」とサラッと言ってくれたことがとても嬉しかったです。

通院していた病院の先生はこの症例の経験が少ないとのことで、クリニックを変え、県内でも有名な不妊治療専門のクリニックを受診。今でも通っています。

 今までに数回チャンスがあり、体外受精をしましたが着床はしませんでした。当時、保険適用ではなかった体外受精は1回に40万円以上がかかりました。

病気発覚と余命

 生活の中心は愛犬で、休みの日はドッグランや犬と出かけられるところへ、数年に1回の旅行は犬と猫と泊まれるところへ出かけました。

 この当時は犬2匹と猫1匹。猫は外へ出ると緊張気味でしたが、犬達ととても仲が良かったのでハーネスをつけてみんなでお散歩もしていました。

しかし、幸せな時は永遠ではありませんでした

長男犬が4歳の時、頬に腫瘍ができて手術。検査の結果は悪性のものでした。幸い転移はないけれど、取りきれてはいないかもしれないと言われ、翌年も同じところにがんが見つかり手術をしています。

6歳の時に身体中に10ヶ所以上の腫瘍が見つかり7カ所手術で取りました。検査をしてもらうと全て悪性とのこと。内臓も心配だからと検査をしてもらうと、肺がんが見つかり末期と言われました。余命は2〜3ヶ月だろうと。

「気休めかもしれないけれど、がんがこれ以上大きくならなければ少しでも一緒にいられる時間が長くなるから」と、抗がん剤の中でも相性の良い薬を提案していただきました。月10万円かかる抗がん剤を開始

この頃、咳き込みが多くなり少量の吐血が見られ、私は涙が止まりませんでした。神頼みしかできない私を、穏やかな表情で見つめてくる長男犬に何ができるのか、真剣に考えていました。

抗がん剤を飲み始めてから、咳は減り少し元気も出てきたようで、ドッグランでも他の犬と少しずつ遊ぶようになりました。

余命宣告をされてから3ヶ月、なんと奇跡的に癌が小さくなっていたのです!長男犬も走れるほど元気になりました。
嬉しくて仕方ありませんでした。「あぁ、神様って本当にいるのかもしれない」と思い、長男犬がずっと元気で一緒にいられることを願い続けました。

 獣医師から、薬は続けた方が良いと言われました。これだけ効果があったのだから、私たちも即答で了承。カードの利用で限度額が心配でしたが、この子の命には変えられません。この頃から私は、本業が休みの日に派遣で副業をするようになりました。

愛犬の新たな病気

 このまま癌がなくなってしまえばいいのに。そう思いながら過ごす日々。
いつかは来る別れの日に後悔をしないようにと、家族で旅行に出かけ、大好きなプールのあるドッグランにも出かけました。楽しそうに遊ぶ愛犬を見ている時間は本当に幸せでした。

しかし、幸せな時間は長くは続きませんでした。
1年後、長男犬が突然倒れ痙攣発作を起こしたのです。

 MRI検査を受けられる病院を紹介してもらい、詳しく検査をしてもらったところ、脳腫瘍があることがわかりました。治療としては放射線療法があるけれど、毎日照射に通い麻酔をかけて治療しなくてはいけないことを伝えられました。

脳外科の医師から、長男犬の負担を考えると幸せな時間を少しでも多くとる方が良いのではないかと提案されました。

先生の言っていることはわかる、でも治療をしたらまた奇跡が起きて、一緒にいられるのではないだろうか、という気持ちがよぎりました。
後で夫と相談し、夫も同じことがよぎったそうです。

 夫婦でよく相談し、ここまで頑張った愛犬に「頑張れ!」とさらに辛い治療を強いるのは私たちの役目なのだろうか。治療をしたから必ずしもよくなるとは限らないし、治療中にもしものことが起きないとも限らない。という考えに至りました。

愛犬が少しでも辛い思いをせず、少しでも楽しいと思って過ごせる環境を作ってあげようということになりました。

いよいよ本当にお別れを意識して生活を送ることになったのです。
痙攣を止める薬を処方され内服を続けましたが、月に何度か痙攣は起きました。

この頃、心身ともに疲れた私は副業で働きに出るのを辞め、長男犬と一緒にいる時間をとってしまいました

私の決意と休息

 長男犬と少しでも一緒にいたい。でもお金を稼がなくてはいけない。私の中で今まで通りではいけない、という思いが巡りました。

携帯で働き方を調べていると、在宅ワークという文字を見つけました。パソコンがあれば自宅でお仕事ができるそうです。これなら稼ぎながら家にいられる!そう夢見てスクールへ入会。
勉強に
費やす時間は多かったけれど、これで一緒にられるならと、自分の時間を作り学習に充てました。

しかし、ある日突然長男犬がごはんを食べなくなりました。
散歩は行くしおやつも食べるのにごはんだけ、よだれを垂らすのに食べないのです。ただのわがままかと思いました。

その日は手にとってあげたら食べたのに、翌日は手にとっても食べず。その翌日からはおやつも食べなくなりました。これはおかしい、流石にそう思いました。

最後になるかもしれないから好きなものを食べさせてやりたいと思い、好きなお肉や果物、おやつをたくさん買ってきて目の前に出すのですが、よだれを垂らすのに何一つ受け取ろうとしませんでした。

水も飲もうとしなくなり、近づけると少し見つめてから顔を背けます。散歩も行きたがるのに、短い時間で帰るようになりました。症状がどんどん悪化。

呼吸が苦しそうになり、在宅酸素を導入。だんだん立てなくなり、身動きをするのも大変になってきました。

何よりも大事な愛犬なのに、長男犬がこんな状態でも私は朝仕事に出かけ、お昼はわずか十数分だけ様子を見に帰り、お留守番をさせる日々は続きました。家にいる間、私は自分の時間より一緒にいる時間を取ろうと思い、愛犬との時間を最優先にして過ごしました。

ご飯を食べなくなって1カ月後、長男犬は旅立ちました。

 愛犬との別れを経て、悲しさに浸る時間がおちついてきた頃、気がつけばとても大きな負債を抱えていました。不妊治療と長男犬の治療はカードやキャッシングで賄い、月々の返済で払えない分はカードで借りていました。借りた分は働いて返せばいいとそう思っていましたが、膨大に増えた負債は世帯年収を超えていました

再奮起

 お金が欲しい。負債を返したい。長男犬のことをたくさん心配してくれた両親にお返しをしたい。残された犬や猫にもしものことがあった時に家にいたい。

在宅ワークがしたい!
私は再度在宅ワークを目指して勉強を開始しました。

 クラウドソーシングなどで案件を獲得しますが、スキルのない私が獲得できる仕事はアンケートに答えて10円をもらうモニターか、低単価のものばかり。初めて継続でいただいたお仕事の最初の1時間は時給換算で30円でした(笑)

スクールのお金も支払っているので、これでは負債が増える一方。このままではいけない!そう思い焦っていました。

このままではダメだ、と思った時にマーケティングコースの募集がありました。
私にとっては高額なコースだったため、縁のない話だと思いスルーしていました。

でも実はとっても気になっていました。
理由は、あるオンラインセミナーで私自身も驚くほど画面に釘付けになった講師が、今回のマーケティングコースの講師だったからです。

 マーケティングの要素に、心を動かし行動させることがあります。セミナーを受講後、私はセミナーのお話通りに行動していました。こんな風に人を魅了し行動を促すことができる術を身につけられるなんてすごい!そして自分も人の心を動かして行動を促すことができたら、きっと在宅でもっと単価の高い仕事ができるのではないかと思いました。

いざ締め切りが近くなった時に「ここで学ばなければずっと後悔するかもしれない」と焦りを感じ、夫に相談。もちろん反対されました(笑)
そこをなんとか「絶対に結果を出す!」という意気込みで夫を説得し、マーケティング講座に申し込みました。

このブログでは、マーケティングを身につけていく過程でまず副業で稼げるようになり、その先で在宅ワークだけで暮らせるようになる挑戦を記録していきます。
大好きな家族と「もっと一緒にいたい」と願う方のヒントになるよう、全力で奮闘します!